1980年代 劇団『座・ふれっしゅ」を旗揚げ、じゆうぶたい鶴舞座を中心に演劇活動をする
1990年代後半 絶対演劇集団 OST-ORGAN(オスト・オルガン)に参加 「話す演劇/聞く演劇」などに出演
同時期に サイン加藤プロデュースとして「おかまと手話」I〜III等を上演。OST-ORGAN解散後は、元メンバーとユニットを編成。言語をモチーフとして上演。
1995年 手話文法書「人差し指のマジック」を出版 この時初めてペンネームを「サイン加藤」とした。以後、上演・手話講師においてこの名を使用しています。